大曲家の墓地  中津良地区 史跡ガイドブック

 新型コロナ感染拡大も大変なことですが、雨雲が広範囲にわたって停滞する事態も大変なことで、私にとって初めての経験といってもいいほどです。佐世保や五島も雨量がすごいと何度もニュースになっている。大きな災害にならなければいいけど。

 

 石造物研究家の大石一久氏が著し、中津良地区まちづくり運営協議会が編集している、「中津良地区 史跡ガイドブック」が届きました。さらっと目を通したんですが知らないことばかりで面白い。

 

 そのなかに「大曲家の墓地」という記載がありますので紹介します。

 

 大曲家といえば、寛永年間に大曲藤内が書いた「大曲記」で有名ですが、その2代ぐらい後の大曲宗慶のお墓(右画像)が上中津良町の山中にあります。大曲宗慶は、大曲家の中興の祖といわれ、「御先祖様年忌覚」(大曲家文書)によれば元禄元年(1688)11月11日に亡くなっています。墓石は宝珠付き笠塔婆で、極端にむくりが入った笠や台形状の基礎などの形態から1600年代後半頃の石塔と考えられますので、宗慶の逝去年にほぼ一致します。

 

 この時期の大曲家は上中津良に居を構えていたと思われますが、宗慶の2代ほど前の先祖にあたるのが「大曲記」を書いた藤内です。であれば、あの有名な「大曲記」は上中津良時代に書かれたのかもしれませんね。

 なお、大曲家のお墓は下中津良にもあります。これは、大曲家が上中津良から下中津良に居を移した後のお墓です。下中津良の大曲家墓所は元文元年(1736)の墓塔から始まっていますので、宗慶の次の代からは下中津良

に居を移したように思われます。また、下中津良時代の屋敷は江戸時代末にできた「下方街道園會」にも「大曲家」として描かれており、その屋敷跡を地元では「お屋敷」と呼んで語り継いでいます。
 

hirad3519 | 平戸島南部 | 19:58 | - | - | - | - |

国際交流と中津良の豊かな歴史  講師 大石一久

 

   先月6月26日、中津良ふれあい会館で「国際交流と中津良の豊かな歴史」をテーマに、中世石塔研究を専門にしている、大石一久氏の講演が行われている。中津良地区の成り立ち、地区の名称といわれ、キリシタンにまつわる話など多肢にわたり詳細な話をされている。沢山の人の参加をえて盛会な講演会となったようです。

 

 その講演会のあと、中津良の古い立派なお墓、二基の調査を依頼されているという。

そのうち一基は大曲家の墓とわかっている。中津良に歴代そのお墓を管理・維持されている人がいて、その人から依頼されての調査だという。

 

 調査の詳細はわかりませんが、私の勝手な推察によれば、お墓が建立された年代、埋葬されている人等を調べて中津良との繋がりから、中津良の歴史の一端を明らかにするものではないかと思われます。

 

 大曲家は、16世紀の平戸や松浦藩の歴史的記述として、その正確さに定評のある大曲記を記した著者と繋がる由緒ある家柄で、いまでも末裔の方が平戸に現存している。意外と早くその墓の実態がわかるのではと思っている。

 

 

 

中津良地区まちづくり運営協議会

hirad3519 | 平戸島南部 | 13:21 | - | - | - | - |

路線バスの旅  平戸志々伎のひらめ

  先週の日曜日夜11時ごろ、BSのチャンネルを回していたら、長崎空港からバスが出発する様子が映し出されていた。レポーターが金メダリストの清水宏保。「ひらめ」を目指してと言ってるのでもしかしたらと思い見ることに。途中はっきりと「平戸のひらめ」が目標と言う。新型コロナ感染対策がされていないので再放送と思われる。

 

 ハウステンボスから佐世保戸尾町の防空壕にある飲食店、石岳展望台、展望台近くのホテルに一泊して平戸へ。

 

 

 平戸も象徴的な観光地をいくつか紹介してバスで志々伎へ。

清水宏保がもっているのが座布団ひらめ。一定の大きさ以上じゃないと座布団ひらめと呼ばないそうです。

見事なひらめの姿造りです。美味しそうです。私は冬に帰省しないのでこんなひらめは食べたことがありません。 日本酒の地酒を飲みながら食べたらいっそう美味しいと思われます。

 

 

 

 

 平戸では1月から3月末まで、ホテルや飲食店で「天然ひらめまつり」が行われます。ここ志々伎の民宿 栗山も参加している。

栗山では漁もやっているので、自分のところで採ったひらめをだすことができるようです。

 

 どこかで読んだ気がするけど平戸市街地のほうでは、平戸観光協会が一括して漁協から仕入れ、ひらめまつりに参加した店におろすとか。

 

 

 

 

 テレビでは、平戸城 フランシスコ・ザビエル記念教会の外からの外観、内部の様子も詳しく放映されていた。

そのほかバスターミナルの周辺なども。

 

 これは教会と寺院が見える風景として、平戸を象徴する観光地です。

いずれもテレビ番組 路線バスの旅 九州長崎の旬 で放映されました。
 

 

 

hirad3519 | 平戸島南部 | 15:29 | - | - | - | - |

志々伎山と志々伎神社

 平戸島の最南端に、海岸から山頂にかけて鋭く突出し、先鋭にとがっている志々伎山という山がある。子供の頃何度か登ったことのある山なのに、どんな山かわかったのは最近のこと。山自体が十城別王を祭神とする志々伎神社の霊山で、古くから信仰の対象となっている。又そのとがった形容が海上から航海の目標とされていて、安部龍太郎著「五峰の鷹」では16世紀、主人公が船で博多から、呼子と宮之浦に一泊して五島に向かったという記述がある。

 

 

 

 上の写真は宮之浦の港外にある島で志々伎神社を構成している一社、沖の宮。島全体が前方後円墳で祭神の陵墓とも言われている。祭神の十城別王は、日本武尊の御子で、仲哀天皇の弟、神功皇后の三韓征伐に軍大将として参加し凱旋後は、警備のため当地に駐留したとの言い伝えがある。

 

左の写真は、沖の宮をみている私の後方に位置している邊の宮(地の宮)で、倉庫・武器庫だった。

 

 

 

 志々伎神社は四社から構成されている式内社で、沖の宮 邊の宮 中宮 上宮からなっている。

左の写真は中宮で志々伎神社の中心となっている。

2010年帰省したとき志々伎山の山頂まで参拝したがそのとき撮ったものです。

子供の頃と違って新しく、立派になっていた。
 

 

 

 山頂に行くには中宮から鳥居をくぐり抜けて、登山道が上宮への参道となっている。

途中一カ所だけ一旦下におりて再度上に登っていくところがありますが、そこを間違えなければ一本道。

左の山頂は尖っていてとても登れないような山容をしていますが、回り込みながら登山道があり誰でも行くことができます。
 

 

 

 山頂にある上宮。

ここからは360度見渡せる絶景で、天気が良ければ五島を近くにみることができる。

347mの高さですが、感覚かすればもっと高いようなきがします。

 

 式内社とは10世紀に作られた神社の格式で、志々伎神社も高い格式といえます。
 

 

    今日の平戸のコロナ感染者数は2名、累計19名となっている。あっというまですね。毎日県の発表をみていて、親戚とも連絡をとっています。この数字になると狭い地域ですから、感染者の方はそれぞれ地域の友人や知人、親戚の方になり、公表しないで噂や憶測にまかせるよりも、クラスターの施設を公表して、住民に積極的な感染防止の協力を呼びかけたほうが、感染抑止には力を発揮すると思いますがどうでしょうか。

感染者が重症化しないこと、感染の抑止を祈っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

hirad3519 | 平戸島南部 | 16:25 | - | - | - | - |

平戸に関するテレビ番組と志々伎出身者の歌のリンクについて

    9月15日の「ガイアの夜明け」で平戸の城泊について放送があったようですが、番組があることに気が付きませんでした。知ってたらみたはずですが残念です。

 

 9月15日は平戸がでる「田舎での1000万円プレイヤ−」と三浦春馬の「おカネの切れ目が恋のはじまり」をみた。

 特に三浦春馬がでる番組については妻のテンションがたかく、「太陽の子」「世界は欲しいものにあふれている」など。「おカネの切れ目が恋のはじまり」は8月の終わりごろから9月15日とチェックしていた。三浦春馬は映画 舞台 テレビと活躍していてはたからみれば順風満帆。なぜ自殺しなければいけないのか理解に苦しむ。

 

 妻も活躍しているときはさほど特別な関心を三浦春馬にもっていたわけではないけど、亡くなってからは注目度が高く、そんなものかと私は首をかしげている。「おカネの切れ目が恋のはじまり」の相手役は松岡茉優で、「限界集落株式会社」「水族館ガ−ル」でのコミカルな役が好きで、私も妻に合わせるに異論はなく、みることに。

 

 「田舎での1000万円プレイヤ−」は先々週の予告で長崎といいながらも、何回も映し出される棚田が春日の棚田にそっくりなのでひょっとしたら平戸では思っていたら、あたりでしたね。紐差のアスパラガスの生産農家が1000万円プレイヤ−で、大きいス−パ−と取引するにはある程度の供給能力が必要で仲間になる農家、特に外から若い人が加わってくれれば、人口が増え一石二鳥だというような内容でした。

 番組の当初平戸の地図が赤で表示され、田平駅、平戸大橋、春日の「かたりな」での世界遺産の説明など、平戸の宣伝にもよくなっていた番組です。

 

 

 東京・平戸北松会で知り合いになった、志々伎出身の松瀬隆幸さん。南部中学では大石一久君と同年だったという。大学をでて神奈川県警に入り、警察官として定年まで勤めあげ、現在は第二の人生で仕事をしていますが、趣味がカラオケ。その趣味が昂じてCDを出すことになりました。ユ−チュ−ブでも松瀬隆幸で検索すれば、本人が作詞した「横浜縄のれん」と平戸の応援歌「平戸ふるさと」が出てきます。「横浜縄のれん」は若いころ勤務した横浜の昭和のイメ−ジで作詞したそうです。二曲を紹介します。

 

横浜縄のれん     

平戸ふるさと

hirad3519 | 平戸島南部 | 13:09 | - | - | - | - |

猪渡谷からみた礫岩と飯良のため池

 猪渡谷から眺めた礫岩。

 

 安山岩質凝灰角礫岩の石塁状地形をしている礫岩。貴重な植物種が多く「平戸礫岩の岩石地植物群落」として国の天然記念物になっている。

礫岩の海岸に衣が浦があるのですが隠れてみえません。

平戸検定のテキストにも、「早福や猪渡谷から眺めた礫岩は美しいものです」と描写されている
 

 

 

 飯良から猪渡谷にむかう途中にあったため池。

 

 平戸にはため池が沢山あります。棚田に使用される水を貯えている。

左上に珍しい加工物があって私には面白いので写真を撮ったもの。

なにかなとよくよく考えてみたら、道路わきにある土手だとおもいます。確認したわけでは

ないけど、堤の風力発電から国道にぬけるまだ新しい「堤新道」です。この角度からは道路とわかりませんが、堤新道沿いにある土手だと思われる。
 


 

hirad3519 | 平戸島南部 | 20:15 | - | - | - | - |

猪渡谷絶景   

  ラグビーW杯は 昨日は日本がアイルランドに勝ち盛り上がっている。1トライで同点という緊迫した試合。最初こそ12点いれられて危なかったけど最後はテレビみてても負ける気がしない展開でした。

 

 春日の「かたりな」から飯良を通って猪渡谷から津吉へは、数年前も車でいきました。

そのときは道を間違い、南へ南へ行ったら堤の風力発電所へ行ってしまった。今回は飯良で、紐差 猪渡谷 堤 の三方向への案内版があり、猪渡谷 の方を選んだらすんなり行くことができました。

 

 船着き場がある海岸へ、中学時代以来の訪問です。人懐っこい柴犬と一緒に私より若くみえる男性がいたのでしばらく話をすることに。都会にでていたがUタ−ンで今ログハウスの管理人をしているという。この近くにログハウスがあるとは初耳です。

その人の話では、平戸島で一番いい景色というのが写真の風景です。

 

 天気がわるいのと、私の腕が悪く、こんな写真になってしまいました。天気がよければ青い空、青い海、緑の岬となりいい風景なのですが。ログハウスは確認しなかったけど、利用する人にはリピ−タ―もいて、夏はここですごすという人もいるようです。

近くに「中津良絶景ポイント」の看板があり、中津良の人が遠くまで見えるように木を切ったりして整備している。同じ場所を猪渡谷絶景とタイトルにしているものです。

 

 猪渡谷は懐かしい場所で、森次吉君という中学時代の仲の良い友人がいて、一人が伝馬船を漕ぎ、10人ぐらいの子供で向こうにある竹の小島まで泳いでいったりして遊んだ。森次吉君はどうしているだろうか。

 

 

 


 

hirad3519 | 平戸島南部 | 15:42 | - | - | - | - |

ハマボウ

 

 夏の懐かしい花の一つにハマボウがあります。7月が満開になるので咲いているかどうかわかりませんでしたが、古田湾にいってみました。

 

 やはり予想どおり盛りは終わっていた。

 

 一個だけ咲いていました。

 

 

 朝早めに行ったのでまだ咲き始めの一輪を手で開いて撮ったものです。

 

 地元ではハマボウの咲く木をジャンガラの木と呼んでいるようです。

 

 皇室の方は、御印としてそれぞれ花や木を採用していますが、佳子様は沖縄に咲くオオハマボウを御印としています。ちなみに眞子様はモッコウバラ。

hirad3519 | 平戸島南部 | 13:01 | - | - | - | - |

平戸に600ミリ以上の豪雨

 平戸に猛烈な雨が降っているという最初のニュースをみて、津吉の実家にも電話をいれました。

 

 今も行けるようになっているか知りませんが、小さな小高い山の上に稲荷神社の祠があってそこらあたりが豪雨で崩れていないか、満潮時の古田川は大丈夫か聞いてみたら、弟が南部は大したことはないという返事。

 

 古田川

 

 それでも600ミリを超えると心配になって再度電話をいれたら、同じ返事で大したことはないとのこと。

 

 次に生月の姉に電話をいれたらこちらは逆で、深夜何時間にもわたって雷を伴う豪雨で恐ろしかったという。どこかで災害が起こっているのではないかと心配していたという。津吉は古田川の国道のほう(実家がある側)は高くなっているのでなんともなかったが、逆のほうは国道側より低くなっていて道路が冠水。あとどれぐらい雨が降るかわからいので、近くの人は家に浸水するかもしれないと不安でいっぱいだったという。

 

 結果としては道路までの冠水でことなきをえている。遠くの姉のほうが地元の弟より詳しいというこの情報格差。格差というよりお酒を飲んでぐっすり寝込んでいたのでは。

 

 被害は佐賀のほうがひどかったけど、ニュースで表示される雨量の総計は平戸が一番多く、これからも雨が降る予想なので被害がないことを願っています。

 

 


 

hirad3519 | 平戸島南部 | 20:15 | - | - | - | - |

またまたテレビ朝日“ポツント一軒屋”に平戸が!

  日曜日の午後8時からの番組、“ポツント一軒屋”をみていたら、またまた平戸がでてきました。今回は志々伎から東南に線を引いた佐世保がわの海岸の高台。海が見える絶景の場所。私はよくわかりませんが立石という地域にあたるようです。

 

 主人公はその高台で子牛の生産をやっている66歳になる大久保さん。

親の時代は田や畑の栽培をやっていたそうです。その時も親は田んぼを耕す牛を飼育していたので、大久保さんは子供のころから牛が好きで、自分の時代になると田畑を牧場にし、牛舎を立て牛の飼育に挑戦します。

 

 最初は牛の気持ちもわからず、牛の飼育もうまくいかなかったけど、最近は牛の気持ちもわかるようになり牛の品評会の全国大会で賞をもらうような腕前になってきた。

海に近い牧場ということに何か意味があるのかという質問に、海から飛んできた海水には多くのミネラルが含まれていて、そのミネラルを含んだ牧草を食べることによって肉質のよい牛になるという。

 

 牛舎から解き放された牛は思い切り牧場を走り回り、牧草を食べる。ストレスを感じない。

大久保さんも牛の飼育がすきで365日、牛の飼育に没頭してもストレスを感じないという。そこで大久保さんいわく、人間も牛もストレスのないのが一番。

 

 前回との違いは平戸の歴史などの紹介がなかったこと、2回目ですし教会がでないので当然ですね。前回は紐差教会もでました。 

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