城下町 佐倉

 新聞の夕刊に城下町「佐倉」の紹介があった。日帰りで行ける町なのでいつか訪ねようとおもっていたので、いい機会だからと今月はじめ行ってきた。
JR佐倉駅から旧堀田邸、武家屋敷、国立歴史民俗博物館そして京成佐倉駅という経路だった。
旧堀田邸ではボランテアガイドの人が希望すれば案内してくれるので私は希望した。よく勉強(岩崎邸なども研修で行ってるそうです)している女性で幕末ハリスと交渉した老中・堀田正睦のはなしから、その他もろもろ1時間で沢山の耳学問。


主人とお客様さんしか通れない玄関。武家屋敷でも説明があったけど石高、格式におうじて屋敷内部の規模、様式が違うとのこと。
共通しているのは、玄関は主人とお客様しか通れないこと。
これだけ主人が大切にされれば、今日の主人(夫)とちがって責任や自覚の大きさも違ってくる。
旧堀田家の寝室の説明で、天井近くの壁にひっかけるものがある。
ガイドの女性が指さして何かわかりますかというので、私は寝るとき蚊帳をはるのにつかうものと答えたら、よくわかりましたねという。いまではわかる人は少なくなったそうです。



旧堀田邸からかなりありますが、武家屋敷(群)には、石高によってちがう五棟の武家屋敷が移築されていた。1800年代から現存するものはそのままに、古文書等と突き合わせて失われているものは復元をされている。ここでもボランティアガイドの人がいたのでお願いした。堀田邸ではボランティアガイドさんの説明に気をとられてゆっくり見学できなかったという反省から、ときどき質問したり、話しかけたりしながら、私主導の見学をしてきた。



こんな写真だけど私の心の琴線にふれた。ガイドさんがここは「納戸」という説明をされた。そういえば子供時代の近所の家にも2畳か3畳ぐらいの「納戸」があったなと記憶がよみがえる。この武家屋敷の「納戸」は6畳から8畳もあって寝室にもなるような部屋なのでとても比較にはならないけど、「納戸」という言葉から昔のことがつぎからつぎに思い出される。その一つに津吉では小さな魚屋さんができるまで、おばさんたちが天秤棒で魚をかついで売ってまわっていた姿がある。まさに歌川広重の浮世絵「日本橋」にでてくる魚をかつぐ姿そのまま。昭和30年代の津吉にはまだ江戸の名残が生きていた。



武家屋敷の庭にあったもの。



新聞に紹介されていたのはこの写真。暗闇坂とイラストマップには載っている。ボランティアガイドさんが、ここをおりて左に行って右にまがると体育館があるから、そこをまっすぐいけば国立歴史民俗博物館にすぐいけますよ、というからそのとおり行くと、遠いこと遠いこと。
そのかわり城址公園をとおって、鳥の鳴き声を聞きながら、センダンやモミの木、葉桜の下をとおって気持ちのよい時をすごした。



センダンの花。センダンの木は千鳥ヶ淵にもあって家具に使う大きくなる木としっていたが、花ははじめて。

パンフレットによれば、「佐倉」は江戸幕末期には蘭学が盛んで「西の長崎、東の佐倉」と並び称された、房総における政治・文化の中心地だったとある。



手前モミの木とそして佐倉城址公園。本丸近くになる。
もうすこし歩くと、老中・堀田正睦とハリスの銅像が建っていた。



国立歴史民俗博物館も興味深い歴史的展示があるけど、時間がかかりそうなので、もう一度ゆっくり見学にくることにして京成佐倉駅をめざす。国立歴史民俗博物館から急な坂を降りきったところにあるお菓子屋さん。いまでも現役。なかをあけて「ごめんください」というもなんの返事もない。あとから聞いた話では耳の遠い姉妹が営業しているという。返事があれば駄菓子を買ったのだけど。

武家屋敷でも佐倉城址公園でもウグイスがよく鳴いていた。そのほか何種類かの鳥の鳴き声が。東京からこんな近くに城下町があるとは思いもよらなかった。


hirad3519 | 佐倉(千葉県) | 20:39 | - | - | - | - |
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