大同生命のコマ−シャル  その背景について

 最近朝ドラの主演をつとめたこともある、波留という女優さんがでる大同生命のコマ−シャルがときどき目につきます。

 そのロケ地ですが、確認はしていませんが、千葉県香取市佐原ではないかと思っています。

私は行ったことがあり保存している写真を探していたら2012年12月のフォルダ−にあった。 

 

 江戸時代、佐原は酒や醤油の醸造業などで栄えたが、また高瀬舟で利根川、江戸川を通って江戸へ米、酒、醤油、薪など数十種類の商品を運ぶ、舟運で栄えた町です。
舟運は昭和初期まで活発だったが、鉄道が開通しトラック輸送が盛んになるにつれ急速に衰退。中心を流れる小野川を川にふたをして駐車場にという声があがったが、「古い町並みを残すことによって観光客を呼び込もう」という町の人たちの熱意で、小野川や街並みはそのままの姿でのこり、1996年に関東で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」に指定され2009年には約60万人もの観光客が訪れるまでになったと言われています。

 

 江戸時代、平戸にもきて測量し、平戸の地図を作製して松浦煕公に献上したことでも知られる伊能忠敬は、この佐原のお酒の蔵元に養子になり、49歳まで蔵元の経営に携わりましたが、49歳で引退して全国を測量し20年間かかって日本地図を完成します。

 

 江戸時代の街並みを保存しているだけでなく、若い人がフランス料理店なども営業していて私が外を通ったときはお客さんで一杯でした。

 

 コマ−シャルをみて佐原を思い出しました。  佐原

hirad3519 | 佐原(千葉県) | 19:24 | - | - | - | - |

佐原の建築物。沢山あるなかでごく一部

佐原は江戸時代から 商業と利根川を利用した舟運で栄えたまちで、江戸・明治・大正・昭和初期に建築された沢山の建物が残されている。そのうちの三軒を掲載します。


小堀屋本店(右側の建物)。明治25年(1892年)に佐原を襲った大火直後に江戸期の様式を再現した建築物。
お蕎麦屋さんで、「黒切そば」として有名。昆布を加工して色を出した文字通り真っ黒なそばで独特の食感と紹介されている。
時間は12時過ぎ、こういった土地での昼食はいつもお蕎麦ですが10人ぐらい待っていたので私はパス。
結局佐原ではなく、成田駅の待ち時間を利用して遅い時間の昼食となった。


中村屋商店。店舗は安政2年(1855年)、土蔵は明治25年(1892年)以降。
明治7年頃より代々荒物・雑貨・畳を商ってきた。

佐原は3.11の東日本大震災で被災しまだ完全に復興されていない。左の土蔵は改修中です。三階建の土蔵がめずらしい。
他にも改修中や平地になっているところがあった。小野川も液状化がひどかったそうです。



佐原三菱館。川崎銀行佐原支店(開業明治13年)。この建物は大正3年(1914年)築。のち三菱銀行と合併して三菱銀行佐原支店となり、現在は市に寄贈されギャラリ−としても活用されている。
千葉県でも有数の洋風建築として知られている。


震災で被害にあった江戸時代の瓦に、観光客が復興のメ−セ−ジをかいています。
hirad3519 | 佐原(千葉県) | 16:41 | - | - | - | - |

伊能忠敬そして高瀬舟

  伊能忠敬は、50歳を過ぎてから、日本全国を測量して歩き、わが国最初の実測日本地図をつくりあげた人物として有名です。50歳すぎてからといい、何人かの弟子達をつれて日本全国を測量した姿には驚くばかりです。

 正確には55歳の北海道の第1次測量にはじまり、以後計10回に及ぶ日本全国の測量を71歳まで行いました。忠敬は73歳で亡くなりますが、彼の没後3年にして日本全図は完成しました。

 伊能忠敬は17歳のとき佐原の酒の醸造を営む商家に婿養子になり49歳で隠居します。
そのため佐原には「伊能忠敬記念館」や伊能忠敬旧宅などがあります。私は「伊能忠敬記念館」にいきましたが、多くの関係資料とともに、江戸と佐原、銚子をいききした高瀬舟の小さい模型が展示されていた。残念ながら撮影禁止でしたが、説明によると全長25メ−トル、江戸と佐原の往復には4日かかるので、舟のなかに料理を作るところなど住居みたいな場所も設けられていた。
 昔の人はよくやります。利根川から江戸川を通っていくとは、往きは利根川を上流にむかって、帰りは江戸川を上流にむかって舟を操る、風をうまく利用して。

 高瀬舟の画像があったので掲載します。

     
hirad3519 | 佐原(千葉県) | 13:08 | - | - | - | - |

佐原(千葉県香取市佐原)

  平戸と同じ江戸が残る佐原で時間を気にせずゆっくりした1日をすごした。

 江戸時代、佐原は酒や醤油の醸造業などで栄えたが、また高瀬舟で利根川、江戸川を通って江戸へ米、酒、醤油、薪など数十種類の商品を運ぶ、舟運で栄えた町です。
 舟運は昭和初期まで活発だったが、鉄道が開通しトラック輸送が盛んになるにつれ急速に衰退。中心を流れる小野川を川にふたをして駐車場にという声があがったが、「古い町並みを残すことによって観光客を呼び込もう」という町の人たちの熱意で、小野川や街並みはそのままの姿でのこり、1996年に関東で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」に指定され2009年には約60万人もの観光客が訪れるまでになった。

 私が訪れたときも沢山の観光客の姿があった。

利根川に注ぐ小野川。江戸・明治・大正・昭和期の町屋・土蔵・レンガ造りなどの情緒漂う建物は小野川の両岸と川を交差する香取街道沿いに数多く残っている。




明治元年(1868年)建造された「正上」の蔵。油屋として創業、その後醤油の醸造もおこない、現在は佃煮屋さん。


醤油の醸造業、正上醤油株式会社いう会社名が読めます。店舗は天保3年(1832年)


のんびりと小野川の舟遊び。舟から撮った「正上」。昔荷物を上げただろう、階段がみえる。


「正上」についての案内版がありました。
hirad3519 | 佐原(千葉県) | 18:55 | - | - | - | - |
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