世界ふしぎ発見 1月6日(土) ポルトガル  天正遣欧少年使節  ファチマの聖母  

 6日(土)の「世界ふしぎ発見」で天正遣欧少年使節の一人であり、禁教時代棄教したとされていた千々石ミゲルの墓石とみられる墓からロザリオ等がみつかり、いままでの見解が見直されるかもしれないようです。

その発掘者の一人である大石一久氏がこの番組で取材を受けたので、番組で放送されるかもしれないと世界ふしぎ発見をみました。16世紀ポルトガルが南アフリカを超えてアジアをめざし日本との係わりから天正遣欧少年使節を取り上げているなかで、大石氏もわずかですが説明役としてテレビに出ていました。10日(水)NHKBSプレミアム3:00「英雄たちの選択」、9:00「400年後の真実・慶長遣欧使節の謎に迫る」 の番組でも取材をうけているのですこしでるかもしれません。

 

 

 わたしが驚いたのは、紐差教会にあるファチマの聖母の意味がわかったことです。平戸教会や田平教会にあるルルドの聖母は有名ですが、ファチマの聖母については私は知らなくて、そのままにしていたら世界ふしぎ発見のなかで、それこそくわしく放送されていました。


 

 

 

 ポルトガルのファチマという田舎で、牧童3人のまえに天使が現れてから大騒ぎになっていく様子などが映されていました。予言や奇跡などがでてきますが、最後は「平和のために祈る」

ことが大事だということになります。

 世界ふしぎ発見の6日(土)の放送をみてから左の画像をみるとその配置が良くわかります。

3人の子供たち、男が1人、女が2人。牧童なので羊がいます。

これでやっと理解ができました。


 

hirad3519 | 大石一久執筆の記 | 18:28 | - | - | - | - |

ミゲルは潜伏キリシタン? 今日の朝日新聞

 今日の朝日新聞、文化・文芸欄に「ミゲルは潜伏キリシタン?」というタイトルで、長崎県諫早市のミゲルとその妻の墓とされる遺構の発掘についてかなり大きく掲載されていました。

 

 これらの新聞報道などをみて私が感じたことは、日常生活に埋もれて天正遣欧使節とはなんだっけかなと思ってしまうほどですが、こうして脚光を浴びると天正遣欧使節が再び思い出させてくれること。当時の4人の少年の果たした役割は大きかったと改めて賞賛します。

 この発掘調査が行政の援助をうけることなく、ミゲルの血を引く浅田昌彦さんや地元の歴史愛好家らが専門家の協力をえておこなっていること。来年の夏にはユネスコの世界遺産委員会で「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」か審査されます。ミゲルが生涯信仰を胸に秘めていたとしたら、ミゲルは潜伏キリシタンの先駆けだったかもしれないこと。

 

 この墓は江戸時代の武家様式のもので、ミゲルに関係なく江戸時代の武家のお墓の形式として価値があるといわれています。

浅田さんの先祖は大村藩の家老格の家柄だとか。今回の発掘ででてきた骨や歯は女性らしいということでミゲルの妻らしいと専門家は分析している。その横に放射線をあてて空洞があることがわかっており、この発掘調査は資金に限度があることからまだ未調査の部分が残されている。次回の発掘調査は行政の援助が必要と思われる。

 

 

hirad3519 | 大石一久執筆の記 | 20:23 | - | - | - | - |

ミゲルの墓から祈りの玉  キリスト教棄教に疑義

 平戸紀行のブログにも大石一久執筆の記を掲載してもらった大石一久氏が、「千々石ミゲルの墓石発見」

を出版してから14年が経ちました。文献などからミゲルの墓としたものの客観的な根拠となるものがないため、いままでミゲルの墓とみなされると言われていました。確かな確証を得るためには墓を掘り返すしかないということで、いままでも掘り返す作業をしていましたが、持ち主の資金に頼っていたため重機などを使うことができず完全に作業を実行することができませんでした。

 

 大石一久氏は講演などを繰り返しながら賛同者を増やし、だんだん発掘調査の市民グル−プができ、その人たちが寄付活動をおこなったりして今回の重機を使った大規模な発掘になったようです。寄付をした人には小学生の小さいお子さんもいたとか。

 

 4人の天正遣欧少年使節のローマ法王謁見時の見事な振る舞いが、当時の欧州で感動をよび日本の文化的評価にもつながり、そのことは幕末日本にきた使節団も知っており、日本をみる目に影響を与えたという学者もいるほどです。人の骨や歯のようなものも見つかったようですので、さらに専門家による鑑定が進めらるとのこと。
 

hirad3519 | 大石一久執筆の記 | 19:12 | - | - | - | - |

海が運んだ石塔

 「江戸東京博物館」に石塔のレプリカが展示されている。展示場所は,この石塔と同じ石材(緑泥片岩)の秩父石で造られた板碑群のコ−ナ−にある。説明文はないが,秩父石で造られた数少ない石塔として,また江東区(東京都)で一番古い紀年銘を持った石塔ということでレプリカまで作って展示したという。
 この石塔は宝篋印塔(ほうきょういんとう)で,一番下の基礎に「悦堂/永享七乙卯/三十九」と刻まれている。本塔は江東区亀戸の自性院にあるが,永享七年の三月十九日に亡くなった悦堂(法名)という人のために建てられた墓塔と考えられる。永亨七年とは1435年であり,制作時期を示す形態とも一致していることから,当時の石塔として間違いない。
 ところが,この石塔の制作地は関東ではなく,実はその形態と石質から(にしそのぎ半島=長崎県)の石材を使用して長崎県内で制作されたものと分かった。わざわざ海を通じて関東まで運ばれていたのである。この石塔について博物館や兵庫の知人から説明を求められたとき,ふと西彼町にある「海夫」銘の五輪塔を思い浮かべた。制作時期が両塔とも室町前期であり,しかも関東と長崎県内を結び付けるものとして,中世に海上で活動した「海夫」の問題が網野善彦先生の著作で論じられているからである(「日本とは何か」など)。先生は,「海夫・海部の道」としては韓国・済州島から北西九州を軸にして関東に至るル−トを述べられている。しかも古代の税(調)として「耽羅鮑」(たんらのあわび。耽羅=済州島)を納めた肥後(熊本県)の海民も関係していることを述べられた。実は現・東京都の北区与楽寺には,鎌倉時代後期に肥後で制作された石塔が運ばれ建塔されているのである。
 これら関東まで運ばれた西北九州の石塔が,海夫といわれる海上を舞台に活動した人々に直接関係したものかは今後の課題であるが,海は,一面で太く安定した交通路であったことをよく示した事例と思われる。

hirad3519 | 大石一久執筆の記 | 06:55 | - | - | - | - |

六月の海

 「むごか事件ばい」食堂の婆ちゃんは,たった一人の客である私に相づちを求めるように,カウンタ−越しに身を乗り出してテレビ画面に舌打ちした。「世の中,ほんなことおかしゅなっとる」大阪池田でおこった小学生殺傷事件を伝えるアナウンサ−の声が,その狭い食堂内に反響して,うわずった気分に拍車をかける。「犯人の頭かきわってやりたかね。なんで年端もいかん子供ば殺すっちゃろか」窓越しに波打つ六月の海が,ただそこだけ輝いて安どの風景を送ってくれる。
 「小学生には何の罪もなかとばい,そうじゃろ。そいが何で殺されんといかんとね。ほんなことかわいそか」婆ちゃんは,いったん奥に入ると,一枚のチラシを持って私に差し出した。
 「見て見んね。どっかの偉か学者さんなんじゃろな,人権問題ば講演なさるんじゃと。役場の方が店に張ってくれって持ってきたばってん,こんなのんきな話どころじゃなかとばい,今の世の中は」テレビは,事件現場の中継を終えて,ある大学教授のコメントに入った。「人権人権って言うばってん,人さまの命ば奪って何が人権ね」婆ちゃんの怒りは,その柔和な顔つきに反してますます高まってきた。片隅にうずくまっていた猫も,主人の異変に気づいてか,おずおずとその場を立ち去った。「人の命なんて,どうでもよかとな。人間,何でここまでくずれたっちゃろか」かっての人間は,生命のない無機物でさえも有機物とみた。だからこそ万物を大切にし,あらゆるものに感謝し,無意識に豊かな世間を形作っていた。今は逆である。生命を持った有機物,それも同じ人間でさえも単なる無機物と見なす貧しい動物へと萎縮した。
 「おちおち外も歩けん,今は命まで奪われる世の中ばい。人権どころじゃなか」画面は再び事件現場の喧噪(けんそう)を映し出した。ただ,窓越しに見える六月の海だけは静かに波打ち,その上を一羽の海鳥がゆっくり舞っていた。人間の世間は確かに消えかかっている。 
hirad3519 | 大石一久執筆の記 | 15:26 | - | - | - | - |

祈り

 綿毛のような木漏れ日が,小っちゃなスポットライトとなって,苔(こけ)むした一体の石仏のあちこちを駆けっこしている。石仏の半分は壊れていたが,ツルツル頭に生えた苔が今起きたばかりのボサボサ髪を思わせ,私は思わず微笑した。「かわいかでしょ,このお地蔵さん。ほんなこと,よかお顔ばしちょる」
 老人は,二,三度石仏のほおをなでると跪(ひざまず)き,ねんごろに手を合わせた。
 「今は,この参道も荒れ放題ですばってん,自分が子どもんころは,よう人がとうろうったとですよ」
 背振山は佐賀,福岡両県にまたがり,古来山岳仏教の活動が盛んな霊山として周囲に多くの遺跡が分布する。その背振山の石塔調査の折,地元のある古老が旧参道を案内してくれた。
 「ホッとしますね。このお地蔵さんのお顔を見とくだけで心が和んで,何だかうれしゅうなるとです」
 老人は手を合わせたまま,じっと石仏を見つめている。
 あたりは全くの静寂である。時折,春の風に交じって,遠くからせせらぎの音が流れてくる。それでも静寂を感じるのは,多分,静寂がすべての始まりだからであろう。
 「年ば重ねてくると欲も薄れてくるとですかね。仏さんば見たら無性に拝みたくなるとですよ」不思議な感覚だった。老人と石仏,そこだけの光景が白くふくらみ,まさに二つが一つに合わさってくるように思われた。
 「人は,何でこの世に生まれてきたとでしょうな。だいっちゃ,いつかは死んでいくとですもんな」
 人間は,何事にも「意味」を求める動物なのだろう。そこに人間だけの価値が生まれ,祈りは,幸か不幸か,宗教と化した。
 「祈ろったら,どげん苦しかったことでん,懐かしく感じられてくるとです。生まれたばっかしの,一番の始まりに戻りよる気分ですたい」
 木漏れ日の中,老人の祈りは,それからしばらく続いていた。
hirad3519 | 大石一久執筆の記 | 19:25 | - | - | - | - |

二個の饅頭

 「お客さん,すまんばってん,四つは売れんばい。二つにしてくれんね」
 店のおばあちゃんはそう言って,窓越しに立つ客の私に申し訳なさそうに頭を下げた。そして「きの毒っかね」と言いながら,新聞紙の袋に二個の饅頭(まんじゅう)を詰めた。
 「お金はよかよ。もう閉めようと思っとったとこやまもん」
 そこは,まことに場末の寂しい店屋だった。電信柱の薄明るい外灯に照らされ,わずかに二,三坪の小さな敷地に饅頭屋の看板は朽ちかけ,塗料も所々はがれかかっていた。
 「よかって,お金はいらん」
 代金を払おうとした私に,おばあちゃんはニコッと笑って愛想良く拒む。
 「よかと。残りもんの饅頭はな,いつもお地蔵さんの晩飯なんじゃから。あんたの横の方におらすじゃろ」
 暮れかかった薄暗闇の中,確かに一体のお地蔵さんが道のそばの片隅に立っていた。
 「旦那が早う死んでな,一日中働きづめで母親のまねごと一つできんやった。だから子供たちにゃいつも不憫な思いばさせよったと。でもな,ほんなこと良か子供たちに育ってくれたとよ。うちだって,こんな老いぼれになるまで,ひどか病気一つせんやった。そいもこいも,み−んな,このお地蔵さんが見守ってくれたおかげたい。感謝せんとな」
 そう言いながら,おばあちゃんは小さなくぐり戸を抜け,曲がった腰をいたわるように道そばのお地蔵さんの前にゆっくりと腰をおろした。そして二個の饅頭をお供えし,しっかりと手を合わせて何かをしきりに唱えていた。饅頭からでる湯気の白い筋がお地蔵さんの前でゆらゆらとなびき,暗闇のすき間に熔けるように吸い込まれていった。
 「子供たちゃ今は都会ぐらしばってん,孫も大きくなってな,元気でやっとる。そいつがなによりうれしかと」
 ふと横を見ると,供えられた二個の饅頭をねらって,数匹の子猫たちがヨチヨチ集まっていた。
hirad3519 | 大石一久執筆の記 | 08:19 | - | - | - | - |

二本の遺骨

 「人間,いつかは必ずあの世にいくんじゃ。でもな,その日がいつくるかだれもわからんと。だからそん日まで一生懸命生きるんじゃ」
 80歳を優に越えたそのばあちゃんは,日だまりの陽光にちょっと手をかざして,芋畑のそばの平たい石に腰を下ろした。
 「いつも,ここが指定席なんじゃ」
 指さす方向に目をやると,一個の紅い花をつけた藪椿(やぶつばき)の枝に一羽の山鳥が止まっていた。山鳥はじっとばあちゃんの方を見つめたまま,時折,くちばしで羽づくろいをしている。
 「一人息子は中国で死んだ。十九やった。自分で言うのもなんだが,これがよくできた息子でな,戦地からよう手紙ばくれたとよ。母ちゃん,今度帰ったら楽にしてやるけん,そん時まで元気にしとけやっちゅうて。なあに,自分の方が先にいってしもうた。役場から届いた遺骨は,だれのもんかもわからん,たったの三本やった。でもな,これが息子ばいって思ってな,一本はここにいれとるとよ」
 一つ息をつくと,ばあちゃんは,普段はだれにも見せんとよと言いながら,ふところから小さな布包みを取り出した。
 「こんなもんばってん,私にとっては宝もんたい」
 一本の骨はわずか数センチ,表面は光沢をもってなめらかだった。その横にもう一本,同じような光沢をはなつ骨があった。
 「もう一つは旦那のとよ。父ちゃんは五十ちょっとで亡くなった。でもな,息子も父ちゃんも,私にゃできすぎた二人じゃった」
 二本の骨を大事そうにさすりながら,ばあちゃんは天を仰いだ。そして,あの世から迎えが来るまで楽しまんとなと言って腰を上げた。山鳥も小さな羽音をたてて飛び去った。いつからだろう,芋畑に数羽の鶏が入っていて,日だまりの中で無心に土をつつき始めていた。
 佐賀県太良町で聞いたあるおばあちゃんの話である。
hirad3519 | 大石一久執筆の記 | 17:52 | - | - | - | - |

歴史と日だまりの里

 福江港から数十分,小さな渡海船は久賀島田ノ浦の港に滑るように接岸した。時折,雲間から差し込む晩秋の日が,浮き桟橋で釣りを楽しむ子供たちの喚声を柔らかく包んでいた。初めての島だったが,あちこちから沸き立つ島のリズムが心地よく,私は思わず大きく息を吸った。
 「ここが田ノ浦神社です」。調査値・細石流(ざざれ)地区に向かう途中,案内をしてくれた地元の坂谷ご夫妻,並内さんに御無理を願って寄り道をしていただいた。案の定,石垣の両端に,立派な五輪塔が見つかった。時期は14世紀後半ごろ,遠く関西で製作されたもので,当時この久賀島を拠点に広範囲に活動していた有力な海人勢力の存在がうかがい知れた。また近くの薬師堂でも中世墓塔が見つかり,本島の歴史の豊かさを実感した。
 久賀島といえば五輪教会で有名であるが,本島の北西側に位置する細石流地区に,今回の調査の目的である明治期のキリスト教墓群がある。今は数件の家があるだけでのひっそりとした集落だか,かっては山の頂上に教会が建ち,アンジェラスの鐘に代わって,あまりにも日本的なホラ貝の音が流れていたという。
 墓地群は,集落から数十分,藪(やぶ)に覆われた山の頂上にあった。
「これがロレンソ榮八の墓です」同行したシスタ−鳥栖さんの説明で,その珍しいキリスト教のお棺型墓碑に見入った。十字架の上に天主教,その左端には大きく西暦年の1875年と刻まれている。259年間という長い弾圧期を経てようやく許された信仰の喜びと解放感。宗教史的にも,また明治という大きな時代の転換を示す遺品としても大変に貴重であると確信した。
 帰路,坂谷さんの,ふる里・久賀島への熱い思いをうかがった。過疎に負けない元気な久賀島−日だまりに咲くツワブキの黄色のように,この島は今も鮮やかに輝いていた。
hirad3519 | 大石一久執筆の記 | 08:06 | - | - | - | - |

奇妙な話

 あの人は,決まって金畑の向こうからやって来た。マントのような黒っぽい丹前をすっぽりかぶって顔を隠し,いつも人目を避けてこそこそ駆け抜けていった。あの人の住まいがどこなのか,少年の私には分らなかったが,ある時,爺(じい)がこんな話をしてくれた。
 「あの人はな,金畑の向こうの山ん中に,たった一人で住んどると。偉かお人じゃ」爺は偉い人と言うけれど,村人はだれでも「風変わりもん」と言ってばかにしていた。村の放牧地である金畑まで牛出しにいった時など,その道すがら,もしかしたらあの人がひょいっと姿を現し,自分たちに悪さをするのではと不安がったものである。
 秋,その日は抜けるような青空にススキの穂が心地よく波打っていた。
野グリの口があいたということで村中総出,朝早くから金畑の前方にある栗山に出掛けた。クリ採りが終わりかけたころ,僕は急におしっこがしたくなった。あたりを見回すと,目前のやぶに,うまい具合けもの道を思わす小さなトンネルが目に入った。そこをくぐって適当な空き地に出ると,僕はたまらずおしっこを飛ばし始めた。その時,近くで妙な音がした。音の方に目をやると,やにわに僕の体は固まった。やぶの陰に,枯れ葉にからまり黒く横たわったあの人の姿があったのである。
 初めて顔を見た。髭(ひげ)ぼうぼう,くぼんだ眼孔(がんこう)は鋭く,何かを訴えるようにじっと空の一点を見詰めていた。一点は僕の足下におちた。
 爺が,僕の泣き声に飛んできた。そして僕を抱き上げると,あの人に向かって深く頭を下げた。
 「あの人はな,木や草の息づかいが体で分るお人なんじゃ。季節がら,体が疼いたんじゃろ」爺は,山道の途中,また後ろを向いて頭を下げた。「昔は,みんなあの人と同じやった。今の人間がな,何も感じん木偶(でく)の坊に成り下がったんじゃ」
 あれから数十年,今となっては奇妙な話としか言いようがない。
hirad3519 | 大石一久執筆の記 | 07:34 | - | - | - | - |
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