茶室 閑雲亭  

 松浦資料博物館の奥庭に茶室 閑雲亭があります。平戸に行ったときはいつも松浦資料博物館を見学したあと、この茶室で抹茶とお菓子をいただいてしばらくゆっくりしていきます。

 

 今年の松浦資料博物館には、江戸時代の平戸の地図が多く展示されていたような気がしました。ときどき展示品が入れ替わるようです。暑いので何度もクーラ−で涼みながら展示品をみてから、茶室にいきます。

 

 この茶室、なかなか人気があるみたいで、昨年も、一昨年も私以外の観光客がきていましたが、今年も私がゆっくりしていると5,6人の人があとからやってきました。雰囲気のある庭園に茶室、遠くをみると平戸城がみえ、しばし江戸時代の情緒を堪能できます。


 

hirad3519 | 平戸の文化 | 11:11 | - | - | - | - |

介護タクシ− ハマサキ  平戸市前津吉町  

 車を運転しない私にとって平戸に帰省して一番困るのは移動に使う足がないことです。

 

 数年前に津吉タクシ−が平戸島南部を撤退してからさらに困ってしまいましたが、介護タクシ− ハマサキが動いてると昨年初めてしりました。知ってはいたのですが、介護とついてるので利用するのがはばかれていたのですが、タクシ−と同じように利用することができるということを知り、今年の帰省ではじめて利用しました。

 

 どこで知ったのか忘れましたが、電話番号は0950−27−0611というのでそこに電話すると、津吉地区まちづくり運営協議会につながり、電話口の人が「65歳以上の登録している人しか利用できない」という。私はタクシ−として普通に利用ができると聞いたので電話したのですがと言ったら、運転手さんの携帯番号をおしえてくれ初めて利用することができました。

 

 運転手さんと話をすると、JR東日本に勤務していたけど定年になったので故郷に帰って起業したとのこと。地元にしてはありがたいことです。経営は厳しいというので、介護にこだわる必要はなく普通のタクシ−の感覚で利用していいのではと思います。

予約で調整したり、他の人と相乗りすればうまく使うことができるように思います。来年帰省したときはおおいに利用するつもりでいます。

 

 経営が順調にいくことをねがってやみません。ホームペ−ジがあったので掲載します。

 

株式会社 ハマサキ

hirad3519 | 平戸島南部 | 17:19 | - | - | - | - |

田助 永山邸(明石屋)

 平戸出身ながら田助も初めて足を踏み入れる町です。説明によりますと4代平戸藩主松浦鎮信公が、小値賀島や壱岐から住民を移住させ海岸を整備したのが始まりだと言われています。平戸オランダ商館が壊され、オランダ貿易が長崎の出島で行われるようになり、海外貿易からの利益がなくなると平戸藩は改革にのりだしますが、その一環だと言われています。

 江戸時代後半になると、平戸瀬戸に面した田助港は、九州西岸を長崎、鹿児島まで南下する航路上の風待ち港として、多くの船宿や遊郭が設けられ繁栄しました。
 

 

 田助の人に聞きながら、永山邸へ、写真をとっていたら内から女の人の声が。奥さんの声で「観光ですかなかに入っていいですよ」。幸運でした。用事で外に行っていて帰ったばかりとのこと。ご主人が案内してくれました。外からはわかりませんが、なかは中庭を回廊をはさんで、広い大きな屋敷です。明石屋とは、江戸時代造船が盛んだったのは瀬戸内海で明石と関係があることからきているとはご主人の説明です。

 

 回船問屋で、海岸から船を引き込み、高い部屋の天井には船荷を引き上げて仕分ける器械がついています。今はその場所はカフェになっており、アマチュアのライブを行う会場にも

 
 

 

 なっています。私が平戸島南部出身とわかると、かんぼさんもライブやりましたよとのこと。かんぼストアの経営者の弟さんですか、楽器を吹くのがすきなようです。

 

 この明石屋は幕末、西郷 高杉 桂 坂本龍馬らが密談をした家といわれています。そのため、刀を持っては上がれない小さな階段や、さまざまな細工があるとのご主人の説明。

一度は火災で当時の家は焼失していますが、焼失前とそっくりに再現している。
 

 

 うえの欄間には「うさぎ」の彫刻がされています。船乗りが波がうさぎにみえると言って

うさぎと波をあわせて造ったという。

 

 その上の部屋は「虎の間」大黒柱が非常に特異な柱で、柱だけで家一軒建つほどの価値があるといわれている。

 

 最後は中庭ですが、写真の撮りかたが今いちです。向こう側から縦でこちらの一階と二階を狙えばきれいな写真になったと思います。

 
 

hirad3519 | 平戸の風景と建物 | 11:07 | - | - | - | - |

平戸瀬戸市場見学

 一昨日の午前中に池袋の方向にいきましたが、行き帰りの地下鉄はいつもに比べガラガラでした。

私は台風が通過している関西より離れているのでさほど気にしていなかったのですが、夜のニュ−スで京葉線、新幹線がとまるなどリスクに敏感な方が正解でした。

 風速のある台風が膨大な被害をもたらしている。大阪の停電になっている地域に親戚があり、固定電話は通じず、携帯は電気をつかわないように必要最小限。テレビも見れないので関空はじめまわりのニュ−スもわからないようです。
 

 

 水道が使えるのが唯一の救いといってますが。ニュ−スによれば水道も使えないところがあるようです。早期の回復を祈念しています。 

 

 田平にある平戸瀬戸市場。前回は午後に行って、市場の人に午前中にきたほうが魚があるといわれて、10時にいきましたが、もっと早くいかないとダメなようです。

 

 上の画像は手前には牡蠣がりますが、奥のほうはすこししかありません。

 

 

 

 下の魚種が多い魚売り場はその上と同じ売り場で、11時30分ごろの状態です。追加されたようです。

カサゴ(あらかぶ)が目につきますが、あとの種類は正確にはわかりません。

 

ハタの一種、メジナ、鯛、かわはぎ(キュウロッポ)などですか。 サバにみえるものもあります。他の売り場には釣った魚、釣った漁師の名前などが記載されているのもあります。

 

大きいサザエです。げんこつサザエですか。
 

 

 ダチョウの卵。これでは大きさがよくわかりませんが。大きいです。平戸島南部の船越で飼育されているものです。1個3000円。興味深いので載せていますが、どんなに料理してどんな味がするのでしょうか。

 

 野菜も沢山ありました。コリンキ−、生でもたべられる黄色いカボチャ。すいかは、楕円形のおおきいのが目立ちます。乾燥椎茸はその大きさにビックリ。乾燥まえの椎茸はどんな形をしているのだろうか。

 

 

 

 

 平戸のお酒。

平戸島南部に福田酒蔵。平戸市街地には森酒蔵場があります。

 福田酒蔵の長崎美人と福鶴。平戸美人はじめてみました。先月三軒茶屋三角街、日本酒専門店 「彩」にいったら、福田酒蔵の福田(にごり)があり、メニュ−に並んだ沢山の日本酒のなかで二番目に記載されていたのですぐわかりました。夏にはにごりやさっぱりした日本酒がおおくなるようで、そのなかにあって福田(にごり)は遜色のない美味しさ。

日本酒も美味しいですが、焼酎「かぴたん」10年もウイスキ−みたいな焼酎で味がありま

す。
 

 

 森酒蔵場の純米50、純米65。

新発売されたばかりの日本酒。純米50は酸味のあるさっぱりした味で、純米65は辛口でさっぱりした味です。いずれも飲みやすい美味しい日本酒です。

 

 平戸の飲食店にはまだ置いてるところは少ないようです。焼肉すずで純米40と平戸牛を一緒にと楽しみにしていたのですが、残念ですがありませんでした。
 

hirad3519 | 平戸の食べ物 | 08:58 | - | - | - | - |

大川原の六地蔵と木ヶ津

 大川原には平戸島八十八ヶ所巡り、28番札所の六地蔵があるというので探してみました。祠がありその前に六地蔵がありました。

 

 案内板には、石塔は1543(天文12)年2月12日付け銘のある市内で最も古い六地蔵である。施主松翁 禅門、清 妙久禅尼の陰刻があるが、この人物については明らかでない。とあります。

 

 私の調査不足で、六地蔵は地蔵さんが六体あるとおもっていたので、これが六地蔵とわかるまでは時間がかかりました。また案内版の矢印が木ヶ津の方向(誰かがいたづらしたものとおもわれます。もともとは道路に向かって直角に六地蔵を指していたものと思います)にむかっていたのも混乱した原因です。 
 

 

 塔の上部に六地蔵がわかります。一つ一つははっきりした地蔵さんではありませんが、これは明治維新の廃仏毀釈で削り取られたらしい。

 

 私の家族のあいだで、曽祖父は神船からきたが、その祖先はどこからということで大川原からという話がでたことがある。真偽のほどはわかりません。その後そんな話は一切でたことはありませんが、妙に私の耳に残っていて、もうすこしゆっくり大川原の集落をみたかったけど、焼肉すずの予約の時間が気になりはじめ、いそぐことに。

 

 
 

 

 木ヶ津の集落。

橋の上から撮ったものです。

 

 

この風景の奥には、平戸藩主松浦煕公が整備し、今も江戸時代の姿を残している普門寺が

あります。

 


 

 

 同じ橋の上から海岸の方を撮った木ヶ津漁港。

 

 ここで牡蠣の養殖をしているのでしょうか。

田平の平戸瀬戸市場には大きい岩牡蠣が販売されていました。夏でも牡蠣が食べられる平戸はいいですね、

 

 いろいろな魚も釣れそうな海岸です。木ヶ津教会もありますが時間がなくて。

 

 

 

 

hirad3519 | 平戸島中部 | 11:27 | - | - | - | - |

前津吉から舟木 大川原 木ヶ津 平戸東岸を走る

 平戸で一度も行ったことがない地域に、前津吉から木ケ津にいたる東海岸があります。

一度行きたいと思っていたのですが今回の帰省でそれがかないました。

 

 前津吉からしばらく離れた舟木までは南部中学校の学区内で、ここから通学していた人がいました。その舟木をすこしとおり過ぎたところにおもしろい岩がありましたので、写真を撮ってみました。よくみると丸い穴ができています。
 

 

 アップして撮ったらこんな岩です。平戸西岸と違って穏やかな東海岸にはめずらしい風景です。名前もあると思うけど。

 

   右側海岸の側に鳥居とみえないこともない形があります。

 

 道路は広くないけど整備されていて順調に車は走ります。
 

 

 佐世保方面の風景です。中央、横にながい島は枯木島。相浦や、佐世保から連絡船で前津吉に帰省していたときは、枯木島をとおるころはもう少しだと目安になる島でしたが、今の高速艇コバルト21は感傷にひたる暇もなく突っ走しっていきます。

 

 左奥の島が高島。島の右端がくびれて特徴のある島になっています。あるブログでアンギラス島(高島)とあるので、アンギラスの響きがいいので、しらべたら怪獣とあります。

ブロガ−が怪獣にたとえて島の名前にしたものと思います。

佐世保の石岳展望台から九十九島の写真をとるとこの特徴あるアンギラス島(高島)がよくわかります。

 

 この地域はなにもないところと言えば、なにもないところですが、堤 礫岩など荒々しい西海岸に比べれば、とても穏やかで、明るい海が広がり、セカンドハウスを造ってゆっくりするにはいい場所です。前津吉からコバルト21をつかえば佐世保まで45分の近さ。

hirad3519 | 平戸の風景と建物 | 09:51 | - | - | - | - |

白岳  平戸島最北端の山

 渡唐大師立像を参拝したあとは、途中みた田の浦海岸が美しかったので海岸と旅館田の浦旅館をみてきました。残念ながら写真を撮らなかったので、他の写真を借りて載せています。一番最後の画像です。こんな旅館で海岸をみながら食事をするのもいいものです。来年の帰省が楽しみです。

 

 田の浦からの帰りに、道路沿いに白岳公園という案内板がありました。まさか白岳の頂上に行くとは思わず、ちかくに見晴のよい公園があるとおもって案内にそって上がり始めていたのですが、道はだんだん狭くなり次第に心配になってきました。乗ってる車は軽自動車
 

 

 ですが、対向車がきたらどちらかがバックする以外にありません。幸運にも対向車にあうこともなく細いどうろを走って白岳の頂上につきましたが、予想外の体験です。

 

頂上は広く浅いすり鉢状、草は手入れさている。360度のパノラマになるところですが、まわりの樹木が覆っていてはっきりはみえません。一番上の風景は手前が渡島、むこうの島が的土大島。次の写真は右端に生月島(そばにある小さい島は世界遺産の中江ノ島)、手前左側が古江湾の方向です。
 

 

 樹木に隠れてかすかに平戸大橋が見えます。

 

 白岳の頂上には電波塔があり、日露海戦で「敵艦みゆ」の第一報をうけたとの説明がありました。

 

 ここには大きい蝶々が乱舞していて、どの蝶々ににているか 平戸紀要第3号「平戸の自然誌」の昆虫の部でさがしたけどわかりません。黒っぽい大きい蝶々です。
 

 

 

 ちなみに魚のペ−ジをみていたら「オニカサゴ(おこぜあらかぶ)」がありました。全長24センチに達し、頭部の棘が発達するので、おこぜと呼ばれ、オニオコゼと混同されることがありますが、棘は無毒です。引き締まった淡泊な白身で、鮮度のよいものは、刺身でポン酢など柑橘系の調味料とよく合います。

 

 白岳のテ−マがオニカサゴまで脱線しましたが、まさか平戸島北端にある白岳の頂上に行くとは思ってもいないことでした。
 

hirad3519 | 平戸の風景と建物 | 12:43 | - | - | - | - |

日本一高い弘法大師空海立像

 今年の帰省では平戸で一度も行ったことがないところに行くことにしました。佐世保にすんでいる娘夫婦がどこでも連れて行ってくれるというので、平戸観光協会が平戸の観光地を案内している地図をみながら、もちろん娘夫婦も初めての場所です。

 

 これもその一つで渡唐大師立像です。2015.7.31の私のブログでも一度紹介していますが、画像は提供されたもので私が撮ったものではありません。

 

 今回は私が撮影したものですがほとんど同じで、わずかですが近づいて撮ったか、離れて撮ったかの違いです。というのも右側に建物があってこの位置からしか取れないのです。

 

 実際にみるとその大きさと、この立像を建立したエネルギ−に驚いてしまいます。いきさつを知ってる人がいたら聞きたい衝動にかられます。

 

 延暦23年(804)、空海が随行した遣唐使船は、平戸島北岸の田の浦沖で第三船が難破したため、一時田の浦に寄港しました。現在田の浦には「空海の腰掛岩」や「遣唐使船の井戸」などが伝承されているそうです。

 

 平戸観光協会の案内を再度掲載します。

 この像は遣唐使船が船出したゆかりの地、大久保町田の浦の丘に、石像としては日本一の規模を誇る弘法大師空海の石像がある。大師像は、大師入定1155年を記念して、渡唐大師建立委員会が建設を計画。真言宗各派の協力をえて、全国各地から浄財を集め建立したもので、像の高さは7メ−トル。台座を含めると16メ−トルにもなり、石像としては日本一の規模である。

 

PS 

  道路沿いに案内板はあるものの目的地に着くのに少し苦労しました。田の浦海岸近くまで行って、ここではないともう一度登って   ていくと左側にありましたが、前だけをみて運転しているととおりすぎてしまうところです。 

hirad3519 | 平戸にある歴史的記念物 | 19:20 | - | - | - | - |

里田原遺跡  平戸市田平町

 今年も1週間ほど平戸に帰省しました。帰りには兵庫にいる母にも会ってきました。

 平戸も暑く目的地に行くのにできるだけ歩かないように気を付けていたので、東京に帰ってから、妻にいつもより顔が焼けていないね、といわれそれなりの効用はあったようです。

あっというまの1週間です。今回はこれまで行ったことがない平戸をまわってきました。

 

その一つが田平の里田原遺跡にある里田原歴史民俗資料館です。里田原遺跡は弥生時代の木製品が多種多量出土していることで知られています。
 

 鋤(すき)

 

  土器や石器は土に埋もれても残りますが木製品は残りません。里田原遺跡では地下水と粘土に密閉されたところで木製品が現存していました。出土した木製品は農具・工具・生活用品・建設部材・祭祀具など多岐にわたるため、初期農耕文化の一端を窺うことができるところから、貴重な遺跡と言えます。

 

 職員の方がついてくださり、丁寧な説明をうけました。その他に薩摩塔についても説明をうけ、平戸南部宮之浦の志々伎神社の一部沖の宮にある、薩摩塔を自分でスケッチした図をみせてもらうことができました。安満岳にもありますが、信仰のためと思っていたら、当初は大切                      

  鍬(くわ)           な場所をしめすために設置されたもので、中国との交流などに関係していたのではとみなされ

                  ています。                

hirad3519 | 平戸の歴史 | 19:04 | - | - | - | - |

古田湾の海とハマボウ

 東日本大震災があった夏帰省したとき撮った古田湾の海です。津吉から神船へいく途中。

やり手であった私の曽祖父は神船から婿養子にきたと聞いています。祖母も違う家ですが神船から嫁いできています。そういう理由で神船は津吉とおなじように懐かしい土地です。

 

 帰省すると神船に必ずいきますが、これはそのときの夏の海です。入道雲がすごいですね。

中学の夏はこの右側の神船の海岸を、「さざえ」や「あわび」をさがしてよく泳いで遊んでいました。
 

 

 

 これは「ハマボウ」です。中学時代の夏休みを象徴する花です。これも上の写真を撮った近くの場所にあったもの。

 

 この近くにはシンデンという昔からかわらない土地があり、ハゼ釣りに良く来たものです。

浅いところで、ハゼがいるのが見えるところで釣るのですから簡単なものです。

ハゼ釣りも遊びで、食べた記憶はあまりありません。

 

 東日本大震災から7年早いものです。


 

hirad3519 | 平戸島南部 | 18:44 | - | - | - | - |
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