今年のメジロは鳴かない

 事務所のベランダにある園芸用の山茶花。共有地に植えられているものです。いつもは内にいても、鳴き声からメジロがきてるなとわかり、外にでて眺めて楽しんでいる。

昨年の秋ごろから、一番手前の上のほうから山茶花の枝が枯れてきました。あわてて毎日水をかけたもののその甲斐もなく枯れ枝は広がるばかり。

 

 剪定をしている造園業の人にどうしてこうなるのか尋ねたら、昨年6月に雨が降らなかったのが原因だという。一度枯れたらもとにはもどらないそうです。とても残念。花もいつもは木全体に溢れんばかり咲き誇っているけど、ほんのすこし咲いているだけ。

 

 今年は事務所の内にいてはメジロの鳴き声は聞こえてきませんでした。山茶花の花もわずかしか咲いていないし。メジロもこないのだろうと思っていたら、この側を歩くときがあって山茶花のほうをみたら、枝がかすかに動いている。これはもしかしてと思って良く見たら二匹のメジロが動き回っています。花の蜜も吸っている。今年もメジロが来たんだと嬉しくなりました。

 

 私が子供の頃ははメジロを獲るのは禁止されていなかったので、メジロ獲りは冬のいい娯楽だったのです。メジロを見ると懐かしいのはそのためです。田舎の近所の家ではどの家もメジロ籠にいれて軒下にさげ、メジロの鳴き声を競っていました。メジロは鳴くものと思っていたのですが、今年のメジロはわずかばかりの花の蜜をつつくのに懸命で鳴き声はしませんでした。

 

 

 
 

hirad3519 | つれづれの記 | 20:01 | - | - | - | - |

世界ふしぎ発見 1月6日(土) ポルトガル  天正遣欧少年使節  ファチマの聖母  

 6日(土)の「世界ふしぎ発見」で天正遣欧少年使節の一人であり、禁教時代棄教したとされていた千々石ミゲルの墓石とみられる墓からロザリオ等がみつかり、いままでの見解が見直されるかもしれないようです。

その発掘者の一人である大石一久氏がこの番組で取材を受けたので、番組で放送されるかもしれないと世界ふしぎ発見をみました。16世紀ポルトガルが南アフリカを超えてアジアをめざし日本との係わりから天正遣欧少年使節を取り上げているなかで、大石氏もわずかですが説明役としてテレビに出ていました。10日(水)NHKBSプレミアム3:00「英雄たちの選択」、9:00「400年後の真実・慶長遣欧使節の謎に迫る」 の番組でも取材をうけているのですこしでるかもしれません。

 

 

 わたしが驚いたのは、紐差教会にあるファチマの聖母の意味がわかったことです。平戸教会や田平教会にあるルルドの聖母は有名ですが、ファチマの聖母については私は知らなくて、そのままにしていたら世界ふしぎ発見のなかで、それこそくわしく放送されていました。


 

 

 

 ポルトガルのファチマという田舎で、牧童3人のまえに天使が現れてから大騒ぎになっていく様子などが映されていました。予言や奇跡などがでてきますが、最後は「平和のために祈る」

ことが大事だということになります。

 世界ふしぎ発見の6日(土)の放送をみてから左の画像をみるとその配置が良くわかります。

3人の子供たち、男が1人、女が2人。牧童なので羊がいます。

これでやっと理解ができました。


 

hirad3519 | 大石一久執筆の記 | 18:28 | - | - | - | - |

明けましておめどうございます

 新年あけましておめでとうございます。ことしもよろしくお願いします。

 

 今年はじめて電車にのりましたがすいていました。明日から仕事はじめが多いのか、6日からは3連休それならと9日からの会社も?

 

 さきほど近くの神社に妻と一緒に初詣。おみくじを引いたら末吉。昨年も末吉だったかな。なにごとも注意深く慎重におこなえばよしとのご宣託。

 

 平戸検定のテキストは第4章、キリスト教「復活時代」にきています。

潜伏キリシタンは長崎に近い外海と平戸の生月島、平戸島西岸にわかれます(ほかの地域にもいますが)。外海と平戸の潜伏キリシタンでは信仰形態が違い明治6年(1873)明治政府がキリスト教の禁令を撤廃し、カトリック布教が再び認められると、外海の潜伏キリシタンはカトリックに復帰していきますが、平戸の多くの潜在キリスタンは「かくれキリスタン」になってカトリック教会には復帰しません。

 

 明治に入ってカトリックの布教がみとめられた後も、禁教時代の信仰形態を守った人々と信仰形態をかくれキリスタンといっています。禁教時代松浦氏の主導によって寺院や神社の再興・新設が図られていきますが、島民の住居にもそれぞれに対応した形で氏神神棚、仏壇、荒神棚などが設けられますが、潜伏キリスタンにとって当初、キリスタン信者ではない事を偽装するために祀られたものと考えられますが、それらも次第に信仰対象として定着していき、かくれキリスタン信仰の特徴であるシンクレティズム的様相を形作っていきます。

 

 私の実家ちかくにはカトリック大佐志教会があります。外海から五島に逃れた人のうち大佐志に移住してきた人が最初は民家に集まって信仰をもち、やがて小さな教会を建て、改築しながらも、別の場所に新しい教会を建設して今日のきれいな大佐志教会になっています。紐差教会や宝亀教会など平戸の多くの教会も移住してきた人が中心になって建設されたものと思われます。

 

 明治時代に島民の9割がかくれキリスタンと推測される生月島に山田教会というカトリッック教会があります。生月島には明治元年ごろから黒島(佐世保)の潜伏キリスタンによる布教にはじまり、明治12年ごろまで神父さんも含め行われますが、仏壇による先祖祭祀の扱いなどが問題となり、山田などで一部がカトリックに合流した他は、潜伏時代の信仰を続けるかくれキリスタンとなり、平戸島西岸の中野、春日、獅子、根獅子、飯良などの潜伏信者も同様の経過を辿ります。

 

 その後、平戸地方はカトリック信仰が栄え、沢山の教会があります。「平戸の文化と自然」より。

 

hirad3519 | 平戸検定 | 19:12 | - | - | - | - |

年末をむかえて

 12月29日になり落ち着いてきて、事務所の掃除、窓ふきをやりました。昨年ダスキンにやってもらったらピカピカになり驚きました。そこまではいかないまでもやっただけの効果はあります。

 

 平成30年2月12日(月・祝日)の平戸検定が近づきました。今回は参加することに意義ありなので気が楽ですが、昨年の問題をやってみたら忘れてしまってできなかったので、公式テキストブック「平戸の文化と自然」を読み直しています。2年前になりますが一度良く読んでいるので、今回見直しても理解が早く前回より理解するのに時間が短くてすみます。

 

 今第3章まで終わりました。その最後に「雑木林とシイタケ」という項目があります。

平戸でも昔は、ご飯を炊いたり暖をとったりするのに、薪をもちいていました。家の回りにあるシイやクヌギなどの雑木林で枯れ枝を拾う他、林の一角の木をまとめ買いして伐採し、切って束ねたものを自家用に用いたり、売りに行くこともありました。と書かれています。思い出します、家族で早福トンネルの近くまで枯れ枝をとりに行ったことを。小学生の前半のころの話になります。

 

 薪とは枯れ枝や、木の枝を伐採して束ねたものと思っていたけど、はっきりさせたいと思い調べてみたら、「燃料にするため用意した木や木材、木材の廃材などの事を指す」と書かれていて、廃材も燃料にするため用意されたものは薪ということになります。雑木林とは人工で植樹した杉などの針葉樹林で、人が管理している林とは違うものと言われていて、そこで松が雑木に含まれていることなど私には新鮮に思われました。

 

 一口メモのところでは、平戸では昔、正月に敵に攻められ時に椎の木を年末の松の代わりにしたことから、今でも椎を用いています。とあります。

hirad3519 | 平戸検定 | 19:58 | - | - | - | - |

この頃 2017.12.23

 早いもので12月23日、もうすぐ正月というのにまだ落ち着きません。ブログもこの前書いてから2週間がすぎてしまいました。

 

 「働き方改革」は大企業だけかと思って我関せずでいたら、中小企業にも及んできました。あわてて労働基準法を読み直し、どの制度が一番あうのか確かめたり、通達にいたる細部まで検討したりとにわかに忙しく、12月の特別な時期と重なって大変ですが、やりがいはあり、私達の仕事は幅広く、奥深いものがあります。

 

 そういった最中、昨日の午後忘年会。場所は○○○という居酒屋。広々としたきれいなお店で価格もリ−ゾナブル。

 ○○○という漁船の名前みたいなところなので、カウンタ−の向こうに大きい水槽があり魚が泳いでいます。このあと刺身が運ばれるのですが、新鮮な魚で、みんな美味しい、美味しいと言って、魚が一番の人気でした。

 魚が美味しいと言われると店の人でもないのに嬉しくなります。

店員さんも若い男女で、われわれの一人と丁々発止のやりとりで楽しい雰囲気です。感じの良い人ばかり。

 

 

年末には生月から魚とナマコが送られてくることになっています。今年は寒いからナマコもあるだろうとの話。魚はブリかヒラマサか。どちらでもいいのですが、ヒラマサのほうが長持ちがして二日、三日大丈夫なのです。
 

 

 

hirad3519 | つれづれの記 | 20:27 | - | - | - | - |

楽歳堂文庫そしてウイリアム・アダムス(三浦按針)

 第9代平戸藩主松浦清(清山)(1760〜1841)は平戸城内に楽歳堂文庫を設立しました。日本各地、また長崎から購入したオランダ関係資料等貴重な文物が収蔵されました。そのほとんどは図書ですが、中にはオランダで制作された地球儀や天球儀、アイヌ関係資料、絵画、発掘品なども収蔵されました。

 現在、これらの図書をはじめとした楽歳堂関係資料の多くは松浦資料博物館に現存しています。「平戸の文化と自然」より。

 

写真はオランダで制作された天球儀。
 

 

 

 オランダは東洋へ進出するため、デ・リ−フデ号おふくむ5隻の船が1598年6月オランダ・ロッテルダムを出発したが、太平洋を横断したのはデ・リ−フデ号のみであった。

デ・リ−フデ号の乗組員は150人でしたが、日本到着時の生存者は24人で、歩くことができたのは数人でした。日本到着後も6人が死亡しています。ウイリアム・アダムス(三浦按針)は歩くことができたその一人で、大阪城で徳川家康に会い、渡航の目的や世界情勢について話しました。

造船技術や外交、国際情勢の知識をもって家康の信任をうけ、三浦半島に領地を得て旗本となりました。。「平戸の文化と自然」より。

 

 

 この3枚の写真は復元された平戸オランダ商館で撮ったものです。

左の写真はデ・リ−フデ号と、その生存者乗組員の送還に平戸松浦家が尽力し、やがて平戸にオランダ商館が設立される契機になることを説明している。

 

 大航海時代の過酷な航海にいどむ西洋と、中国を含め、西洋と積極的に関わりをもっていく平戸松浦家には興味深いものがあります。

 

 

hirad3519 | 平戸の歴史 | 19:45 | - | - | - | - |

Firando(フィランド) 夢名酒

 森酒造の頒布会11月のお酒は「千年探梅」と「フィランド」でした。

 

 宅配の荷物から「Firando夢名酒」を取り出したとき、その美しさに卒倒しそうでした。

この青色と白っぽいラベル。取り出したときはこの写真よりもっと濃い青色のような気がしました。

色の名前を探したらプルシャン ブル−があてはまりそう。和名だと紺青。

 

 これを百貨店などの日本酒の売り場においたら目立つでしょうね。すぐわかります。

 

日本酒です。「このお酒は全く新しい味の日本酒です。ワイン感覚でお楽しみください。必ず冷してお飲みください。」とチラシに書かれています。
 

 

 

 南蛮貿易の中心として栄え、鎖国により歴史の表舞台から姿を消した平戸。その歴史浪漫に思いを馳せて・・・・

 

 となっています。徳川幕府が鎖国政策をとる前100年間ほど、ポルトガル オランダ イギリスなどと外国貿易をしているとき、平戸はヨ−ロッパでFirandoとして知られていたようです。そこからお酒のネイミングに。

 

 原料米は春日の棚田米使用  アルコ−ル分10度 

 

飲むのが楽しみです。ブログに載せるまで飲んでいなかったけどこれでやっと飲めそう。

 

 

 

 

帰省したとき何度か行ってる春日の棚田ですが、すごいですよね。その広さ 高さ 

 

安満岳から湧き出る水とミネラルたっぷりの海風をうけて美味しいお米になります。

東京でも販売しているようですので、今度春日の棚田米を食べてみようと思います。

 

春日は江戸時代は潜伏キリシタンの集落、明治以降は隠れキリスタンの里。

今も江戸時代と変わらない姿をしているところから、「平戸の聖地と集落」として来年の世界遺産をめざしているところです。
 

hirad3519 | 平戸の酒 | 18:01 | - | - | - | - |

歴史の道 平戸

 平戸港交流広場から松浦資料博物館えの道を歴史の道と呼んでいるようです。

 

 その歴史の道に16世紀から17世紀にかけて、平戸が中国 ポルトガル スペイン オランダ イギリスと海外貿易をしていたころ活躍した人物の像が建てられている。

 

 その像を紹介します。良く見たつもりですが、像と名前が違っていたらあしからず。

 

リチャ−ド・コックス像

イギリス商館長です。

1613年平戸にイギリス商館が設置されると、リチャ−ド・コックスは商館長の任命され、日本との貿易に携わりますが、先行するオランダ貿易に追いつけず、苦しい経営になり、1623年平戸商館は閉鎖されます。


 

 

ジャックス・スペックス像

1609年平戸に商館が設置されると初代オランダ商館長に任命されます。1621年まで商館長をつとめます。

 

 スペックスは平戸オランダ商館の在任が長かったこともあり、日本の風習やしきたりを理解し、オランダ貿易が円滑に行えるよう心がけたようです。

その手腕は高く評価され、オランダ人やイギリス人はスペックスにちなんで平戸瀬戸のことを「スペックス海峡」と呼んでいました。

 

 1628年にはバタビア総督に任命され1632年総督を辞任しオランダに帰国。1645年ごろ没しました。
 

 

ウイリアム・アダムス像

徳川幕府より領地を与えられ旗本となった三浦按針です。

 

 イギリス生まれですが、若いときから造船 天文学 航海術なを学び、オランダが南アメリカのマゼラン海峡を越えて太平洋を横断して、アジアへ送り込んだ5隻の船のうち「デ・リ−フデ号」の航海長として乗り込みます。5隻のうち「デ・リ−フデ号」のみが豊後国臼杵に辿りつきます。

 

 アダムスは徳川家康に会い、渡航の目的や世界情勢について話をするうち、家康の命令で様式帆船を伊豆で完成させるなど、造船技術や外交、国際情勢の知識をもって家康の信任をうけ、相模国三浦郡逸見村(横須賀市)に領地を得て旗本となっています。イギリスが平戸に商館を建設したとき幕府との仲介の労をとり、アダムス自身も平戸で貿易家として活躍し、イギリスへの帰国の希望があったものの、平戸で没し、先方公園に墓地があります。

 

 

 五峰王直の像

中国安徽省の生まれ。当時の明が鎖国政策をとったため、密貿易からはじまり、海商とも海賊の首領ともいわれてい。後期倭寇の時代に活躍した。

 

 第25代松浦隆信によって優遇され、平戸に多くの手下を従えて居住しました。

火薬の原料となる硝石や硫黄を扱ったので、戦国時代の大名との取引もあり巨額の富を得た。

 

 1543年種子島に鉄砲が伝来するのは、ポルトガル船が漂着したのではなく、王直の船に乗船していたポルトガル人が鉄砲を伝えたことが史実のようです。

 

 王直の様子は安部龍太郎の「五峰の鷹」によく描写されています。


 

 

第25代松浦隆信の像

13歳で松浦家を継ぐとのち戦国大名となり、領地を広げていきます。大村領であった佐世保、日宇、早岐、佐志を領地とするのも隆信の時代になります。

 

 松浦家を継ぐと翌年には中国人海賊の首領であった五峰王直を平戸に迎い入れ、中国貿易を盛んに行い勢力拡大の資としました。

 

 その王直の手引きによってポルトガル商船が平戸に入港すると、平戸は一気に西欧貿易港として日本中に注目されるようになっていきます。
 

hirad3519 | 平戸の歴史 | 19:07 | - | - | - | - |

ミゲルは潜伏キリシタン? 今日の朝日新聞

 今日の朝日新聞、文化・文芸欄に「ミゲルは潜伏キリシタン?」というタイトルで、長崎県諫早市のミゲルとその妻の墓とされる遺構の発掘についてかなり大きく掲載されていました。

 

 これらの新聞報道などをみて私が感じたことは、日常生活に埋もれて天正遣欧使節とはなんだっけかなと思ってしまうほどですが、こうして脚光を浴びると天正遣欧使節が再び思い出させてくれること。当時の4人の少年の果たした役割は大きかったと改めて賞賛します。

 この発掘調査が行政の援助をうけることなく、ミゲルの血を引く浅田昌彦さんや地元の歴史愛好家らが専門家の協力をえておこなっていること。来年の夏にはユネスコの世界遺産委員会で「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」か審査されます。ミゲルが生涯信仰を胸に秘めていたとしたら、ミゲルは潜伏キリシタンの先駆けだったかもしれないこと。

 

 この墓は江戸時代の武家様式のもので、ミゲルに関係なく江戸時代の武家のお墓の形式として価値があるといわれています。

浅田さんの先祖は大村藩の家老格の家柄だとか。今回の発掘ででてきた骨や歯は女性らしいということでミゲルの妻らしいと専門家は分析している。その横に放射線をあてて空洞があることがわかっており、この発掘調査は資金に限度があることからまだ未調査の部分が残されている。次回の発掘調査は行政の援助が必要と思われる。

 

 

hirad3519 | 大石一久執筆の記 | 20:23 | - | - | - | - |

平戸から届いた 菜種油 平戸ビ−フカレ− 有機栽培のお米

平戸市山中町の「たねのわ搾油所」の菜種油。

 

あるブログで「たねのわ搾油所」が紹介されていましたが感動ものでした。

 

さっそく妻に頼んで料理してもらって、でてきたのは数種類のキノコの炒めもの。妻は料理はあまり得意ではなく、とくに味付けが濃い。この日も私が食べるまえに、味付けが濃ゆ過ぎたかなと一人ごとを言っていたけど、なんのことはないまろやかなおいしいキノコの炒めものになっていました。

 

これはきっとこの菜種油が味をととのえてくれたおかげだと思います。楽しみが増えてきました。

上中津良にも子供の頃は菜種油を造って商売していた人がいたそうで、いつもいい匂いがしていたそうです。

 HPはこちらたねのわ搾油所
 

 

 平戸牛と平戸産の野菜でできた、平戸ビ−フカレ−。お肉が大きくル−はスパイスがきいていて

とても美味しいと紹介されています。平戸産の牛と野菜というところがなんとも言えません。

 

 まだたべていないので感想はいえませんが、美味しい米とあわせるとひときわうまくなりそう。

 

 お米は平戸市深川の松永やち枝さんという、研究熱心な女性が作ったもので有機栽培だそうです。長野の友人の米と比較すると、友人の米も美味しいけど松永やち枝さんの米には負けそう。

 

 友人の米より、甘さと、もっちり感があります。昨日の朝は小さい茶碗ですけど、いつもは1杯なのに3杯たべてしまいました。最初の1杯は米だけで。2杯目は小魚、かつおぶし、ゴマなどをまぜた「まぜんね」をふりかけて、3杯目はお米と漬物で。とくべつな美味しさです。

 

 


 

hirad3519 | 平戸の食べ物 | 10:35 | - | - | - | - |
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